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●第51号メニュー(2010/3/21発行) |
【巷の小社の神々】洛外編 《その2》 |
〔宇治神社〕 〔宇治上神社〕 〔縣神社〕 〔下居神社〕 |
〔宇治神社〕 宇治市宇治山田 |
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宇治神社は、宇治川右岸の宇治山田町に鎮座しています。菟道稚郎子(うじわきいらつこ)皇子を祭神とする旧宇治町の産土神で、古来よりもっとも崇敬された神社です。かつては宇治上神社とともに離宮八幡といわれた社で、宇治に最も縁故の深い菟道稚郎尊を祀り奉る所であります。 社伝によれば、この地は応神天皇の離宮跡で、稚郎子皇子の宮居(桐原日桁宮(きりはらのひけたのみや))の跡ともいわれ、皇子亡き後宮地に神社を建ててその霊をなぐさめ祀ったのが、当社の起こりと伝えています。『延喜式神名帳』に記す「宇治神社二座」とあるのは、当社をいい、稚郎子皇子と母方の祖神を祀っていたとおもわれます。 |
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その後、応神天皇(八幡神)と仁徳天皇を配祀するにおよんで「離宮八幡」または「離宮明神」と称しました。藤原頼通は平等院を建立するにあたって、当社をその鎮守社とあがめ、祭礼には幣帛神馬を献じ、また郷民はきそって競馬・田楽などを催しています。世にこれを「離宮祭」と称し、往時は宇治川に船が充満するほどの賑わいをみせたと伝えています。 明治維新までは宇治上神社と二社一体の神社でしたが、維新後、上・下二社に分割され、上社を宇治上神社と称し、当社は宇治神社と号しました。 本殿(重文・鎌倉時代)は三間社、流造り、桧皮葺、屋根の流れはゆるく、側面の妻入りも深く、正面三間の向背の両端には繋虹梁を用い、向拝とその奥の斗?間には、宝相華唐草を彫った蟇股があり、鎌倉時代の神社建築を残す貴重な遺構であります。殿内には稚郎子皇子といわれる木造神像(重文・平安)が安置されています。 |
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宇治神社 (左)本殿細部 (右)神社遠景(拡大) |
〔宇治上神社〕 宇治市宇治山田 |
宇治上神社は、宇治神社の東、朝日山を背景に幽邃な山麓に鎮座しています。稚郎子皇子を主神とし、応神・仁徳両天皇を配祀する旧村社で、もとは宇治神社とともに宇治郷全域を氏子としていましたが、今は旧槙島村のみとなっています。 本殿(国宝・平安時代)は一間社、流造りの三殿がならび建ち、現在は左に稚郎子皇子、右に仁徳天皇、中央に応神天皇を祀っています。 左右の社殿がともに大きいのにくらべ、中央のみが極めて小さいのは、はじめ左の社殿ひと棟であったものが、のちに右の社殿を加え、さらに中央の社殿を加えて三殿としたので、これによって当社の祭神と信仰の推移がわかります。 社殿はいずれも平安時代の建築で、とくに左右両殿の蟇股は、簡素な中にも古雅の趣があり、中尊寺金色堂・上醍醐薬師堂の蟇股とともに藤原時代の三蟇股といわれて珍重されています。奈良時代の蟇股は板状でありますが、平安時代後期には繰抜式に変化しています。また左右両殿の扉には童子・随身像四面(重文・平安時代)が描かれています。数少ない藤原時代世俗画の資料として貴重な遺品であります。 さらに本殿を保護するために外面に設けられた覆屋(おおいや)(国宝・鎌倉時代)は、5間3面、流造り、桧皮葺としています。 拝殿(国宝・鎌倉時代)は、境内の中央にあって西南に面しています。桁行6間、梁間3間、単層、屋根は切妻造りの左右に庇をつけ、一見入母屋造りの形に見せています。正面に一間の向拝をつけています。中央は板唐戸とし、蔀戸を用い、周囲に縁を設けて組勾欄をめぐらしています。内部の床は低く全体に住宅風であります。宇治離宮の遺構と伝える寝殿造り風の住宅建築です。 |
宇治上神社 (左)本殿側面(拡大) (右)拝殿 |
〔春日神社〕本殿(重文・鎌倉時代)は、本殿の右にある末社で、一間社、流造り、桧皮葺であります。かつては藤原氏の氏寺平等院に対する氏神である春日社で、大きな伽藍が存在していたと推測されます。 なお、境内には、天降(あまふり)石や岩神さんと呼ばれる巨石があり、磐境(いわさか)信仰を伝えています。 |
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〔縣神社〕 宇治市宇治蓮華町 |
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縣(あがた)神社は、平等院裏門の西方に鎮座しています。社伝によれば、永承7年(1052)、藤原頼通が平等院建立に際し、その鎮守社としたといわれ、明治維新までは三井寺円満院の管理下にありましたが、神仏分離で独立しました。 祭神の木花開耶姫(このはなさくやひめ)命(天孫瓊々杵尊の妃神)は一に吾田津姫(あがたつひめ)ともいい、これが訛って社名となったといわれますが、また一説に「あがた」は頒田(あがちた)の約言で、上代諸国に設けられた朝廷の料地をいい、縣主(あがたぬし)を置いて統治したといい、当社はこの御料田の守護神として創祀されたものといわれますが、あきらかではありません。『延喜式神名帳』にはその名がありませんが、創祀は古いものとおもわれます。 本殿(江戸時代、一間社、流造り、桧皮葺、正面に千鳥破風)は拝殿ともに安政年間(1854〜60)の再建ですが、建物の細部にわたって華麗な彫刻がみられ、近世における当社の繁栄がしのばれます。 毎年6月5日の深夜から行われる奇祭、県祭が有名です。5日の深夜、灯火を消した真っ暗闇のなかで、梵天の渡御があります。 |
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縣神社 (左)拝殿細部 (右)神社遠景(拡大) |
〔下居神社〕 宇治市宇治下居 |
下居(おりい)神社は、宇治旧市内南部の下居山の山麓に鎮座しています。下居は一に「折居(おりい)」「降居(おりい)」とも呼ばれ、当社の創祀年代は明らかではありませんが、『三代実録』貞観8年(866)3月条に「降居神ニ従五位下ヲ授ク」云々とあるのは当社のことであります。 鎮座地は旧田原道のかたわらにあって、山を背にして北方にひらけた景勝の地を占め、ささやかな境内には本殿・末社などがあります。本殿(府指・江戸時代)は三間社・流造り・桟瓦葺であります。 祭神には、伊邪那美命・速玉男命・黄泉事解男(よもつことわけお)命を祀っています。これとは別に三神をかたどった神像3体(鎌倉時代)が安置されています。 古来、この地は斉明天皇(皇極天皇)が即位5年(659)、大和国吉野より近江国平浦(滋賀県比良)に行幸の途次、しばし行宮を営まれた所といわれます。また『万葉集』巻一の額田王(ぬかだのおおきみ)の、 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの仮慮(かりほ)し思ほゆ と詠まれた「宇治の都」はここだと伝えられています。しかし一説にこのときの行宮は稚郎子の宮所の地(現在の宇治神社)であるといわれ、或いは桓武天皇の第七皇子明日香親王の「宇治別業」地ともいわれて明らかではありません。 |
下居神社 (左)本殿細部 (右)神社遠景(拡大) |
〔神明神社〕 宇治市神明宮西 |
神明神社は、一ノ坂を経て、大久保に至る旧奈良街道の中程から南に入った神明宮西に鎮座する旧村社で、一に宇治明神と称しました。境内には伊勢の内宮と外宮を模した神明造りの社殿2宇と付近から移した末社羽拍子神社があります。 社伝によれば、平安遷都に際し、天照・豊受両大神を京都に近いこの地に勧請したのが起こりであると伝えていますが明らかではありません。しかし付近に伊勢田、伊勢田神社があることから、伊勢神宮の神領地(御厨(みくりや))に因んで勧請祭祀されたとも考えられます。 延喜の式外社でありますが、室町時代の頃にはすでに鎮座されていたことは、中原康富の日記『康富記』嘉吉2年(1442)9月27日条に「参詣宇治明神」の一文によって知られます。 文明11年(1479)、日野富子の当社への参詣をめぐって、三室戸衆と宇治衆の間で争いが起こり、このときに三室戸寺・橋寺放生院などが焼かれています。 境内はもと方10町といわれ、背後の栗隈山(くりくまやま)(栗駒山(くりこやま))に因んで栗隈(くりこ)(子)明神または栗駒山大明神・今明神・今伊勢とも称しました。室町時代の狂言『栗隈神明(くりこのしんめい)』には、延喜4年(904)伊勢の刺史(しし)服部俊章なる人物に、老翁となった神が現われ、この地に祀られたという勧請由来が語られています。また狂言『今神明』には、当社の祭礼の賑わいぶりがうかがえます。このように当社は古くから知られた神社でありました。 |
神明神社 (左)内宮(拡大) (右)外宮 |
〔橋姫神社〕 宇治市宇治蓮華町 |
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宇治橋の西詰より南へ100m、宇治蓮華町に鎮座する小社で、祭神は瀬織津姫と住吉明神を合祀しています。 当社は、はじめ橋の守護神として宇治橋の上(三の間)に祀られていましたが、明治3年の洪水によって橋が流失したとき、現在の地に移しました。また、橋の西詰にあった住吉神もここに移しました。 大化2年(646)の宇治橋架橋の際、僧道登が橋の守護神として、上流の桜谷から瀬織津姫を勧請して、宇治橋の三の間に祀ったのが起こりであります。 古今集の読人不知の歌に |
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とあって、橋姫は橋守の娘でありましたが、さる男と恋仲になり、和布(わかめ)を食べたいと男にせがんだところ、男は伊勢の海で和布を取ろうとして溺死してしまいます。女は悲しんで海に至り、誓いを守って男の霊に会うことができたという話を詠んだものであります。また一説によると、女が宇治川の激流に身を沈め、悪鬼となったのを、里人がその霊を鎮めんがために祀ったともいわれています。これらの伝説に付会して橋姫伝説がうまれ、当社を縁切りの神として、悪縁を断つ霊験あらたかな神として信仰されるようになりました。現在2社殿が並立していますが、一つは水運の神、住吉明神であります。 | ||
橋姫神社 (左)扁額 (右)神社全景(拡大) |
〔許波多神社〕 宇治市五ヶ庄古川 |
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許波多神社は、五ヶ庄古川に鎮座する旧郷社で、天忍穂耳(あめのおしほみみ)尊・瓊々杵(ににぎ)尊・神倭磐余彦(かむやまといわれひこ)尊(神武天皇)を祭神とする五ヶ庄一帯の産土神であります。 当社は初め木幡の山中(柳山)に鎮座していたと伝えられています。伝説では、壬申の乱(672)に先立ち、大海人皇子(天武天皇)は近江の大津宮から吉野に赴く途中、当社に立ち寄り、柳の枝のむちを社頭の瑞垣(みずがき)に挿し、「われ天位を践(ふ)まば、この柳、芽を出すべし」と祈願をされたところ、間もなく天武天皇となられ、柳もまた芽を吹いて繁茂しました。天皇はその霊験のあらたかなのを賞し、神領を寄進し、名も「柳大明神」と名付けたと伝えられていますが明らかではありません。 しかし、この地の先住民が農耕守護神として祭祀したのが起こりであります。『山城風土記』逸文にかかげる「宇治郡木幡社(祇社(くにつかみのやしろ))や『延喜式』にみえる「宇治郡許波多神社三座」とあるうち、二座は当社にあてられ、他の一座木幡東中の許波多神社に分祀されていると伝えられています。 寛永年間(1624〜44)に、この地に牛疫が発生し、多くの牛が病死したとき、村びと達は当社に祈願をしましたが、いっこうに効果が現われません。思案にあまって領主の近衛家に訴えたところ、信尋(のぶひろ)(応山公)は、 |
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と和歌を色紙にしたためて与えました。村人はそれを当社の神殿に捧げたところ、不思議にも牛疫は終焉(しゅうえん)しました。 神社は長い間柳山の旧地にありましたが、明治8年9月、旧陸軍火薬庫の増設により、御旅所であった現在の地に遷しました。このとき柳大明神社を許波多神社と改称しました。 本殿(重文・室町時代)は、境内の北端にあって南面しています。建物は柳山から移した三間社・流造り、屋根は桧皮葺で、向拝の蟇股には社伝に因んで柳と馬の彫刻がほどこされています。また、内陣の厨子に永禄5年(1562)造立の墨書銘があり、様式からみても室町時代の建築とみられます。ほかに拝殿・末社などの建物があり、樹齢500年といわれる椋の老木があります。社宝には「男女二神像」(平安時代)と「黒漆鞍」があります。 |
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許波多神社 (左)神社遠景(拡大) (右)神社正面 |
〔許波多神社〕 宇治市木幡東中町 |
許波多神社は、旧道に沿った木幡東中町に鎮座する、天忍穂耳(あめのおしほみみ)命を祭神とする木幡の産土神で、五ヶ庄の許波多神社とともに旧郷社として崇敬されています。 社伝によれば、初め木幡の柳山に創祀され、それに因んで柳大明神と称していました。その創祀年月は明らかではありませんが、現在地に移ったのは平安時代の応保年間(1161〜63)と伝えています。一説に承和14年(847)木幡南山の西南にいったん勧請してから移したといわれ、『延喜式神名帳』にかかげる「宇治郡許波多神社三座」のうちの一座で、他の二座は五ヶ庄の許波多神社に祀るといわれていますが、一座が分離して二座になるのは珍しく、おそらくは村落の発展によって、後に分祀されたものと考えられます。 |
〔田中神社〕は、二つならんだ本殿の向かって左側にあり、天照大神・天津日子根(あまつこやね)命を祭神としています。もと付近の旧河原村の産土神でありましたが、明治41年に移したもので、一説に式内許波多神社三座のうちの他の一座は、当社と伝えていますが不詳であります。 |
許波多神社 (左)拝殿 (右)神社全景(拡大) |
《月刊京都史跡散策会》【巷の小社の神々】洛外編 (その2) 完 つづく |
編集:山口須美男 メールはこちらから。
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