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●第45号メニュー(2009/9/20発行) |
【巷の小社の神々 京洛編】(その2) |
〔江文神社〕 〔岩座神社〕 〔崇道神社〕 〔三宅八幡神社〕 |
〔八瀬天満宮社〕 〔御蔭神社〕 〔熊野若王子神社〕 〔大豊神社〕 |
世之助が大原の里の雑魚寝よりわれの雑魚寝はなまめかしけれ(祇園歌集) 吉井 勇 |
現在の例祭は、5月5日でありますが、9月1日の「八朔祭」には湯立ての神事があり、夜には大原地区の青年男女による踊りの奉納が行なわれています。「金比羅山」は江文神社の背後に突兀(とつこつ)としてそびえたつ山をいい、古くは江文山と称していました。高さは海抜582m、全山秩父古生層の露岩に覆われ、すこぶる怪奇な山容をしています。近年はロッククライミングのよき練習場として、初心の登山者によって大いに利用されています。 『山城名跡志』巻五によれば、むかしからこの山頂に火壷・風壷・雨壷という自然の石窟があって、風雨祈願の信仰があり、魔所と怖れられていました。一説に造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を祭祀していると伝えられています。 おそらく古代祭祀の遺跡磐境と思われます。近年、山頂近くに金比羅大明神と崇徳天皇を祀る琴平神社が創祀されました。口碑によれば、讃岐国(香川県)で憤死された崇徳天皇は「朕死なば都の見ゆる所に祀るべし」との遺言により、霊をなだめるため、都の見えるこの地に祭祀したと伝えられています。 |
〔御蔭神社〕祭神 玉依姫命・玉依姫命 上高野東山 |
御蔭(みかげ)神社は上高野の東北部、比叡山麓の御蔭山に鎮座する賀茂御祖(下鴨)神社の境外摂社です。本殿は2棟からなり、東殿に玉依姫命、西殿に鴨建角身命を祭祀しています。 御蔭山は一に御生山(みあれやま)ともいい、下鴨神社の祭神鴨建角身命の女玉依姫が、別雷神(上賀茂神社祭神)を産みたもうたところといわれ、中世以降は神の降臨地として神聖視されています。この山には、二葉の葵が生えているので、一に二葉山とも言われます。 境内は鬱蒼たる樹木が生い茂り、森厳な雰囲気がただよっています。一説にはここはもと小野神社の旧鎮座地ともいわれています。 「御蔭祭」は御神霊を下鴨神社に移す祭礼をいい、毎年5月12日、賀茂葵祭にさきだって行なわれます。当日は神馬に錦蓋をかざし、神職・伶人は騎馬にて扈従(ぐじゅう)し、300余の共奉員は楯・鉾・弓などの神具をささげて前後を警護し、下鴨神社より当社に至って祭儀が行なわれます。かくて神霊を神馬に移すと、ふたたび道楽を奏しつつ還幸されます。その祭礼・儀式の優雅典麗なことは、古来葵祭に匹敵するといわれていましたが、近年は道路交通上、行列は自動車をもって行なわれ、昔の盛儀をみることはできません。 なお、祭の飾りに葵を用いるのは、雷と地震の呪いのためといわれ、別雷神が雷神、大山咋が地の神であることに由来すると云われています。 |
(左)大豊神社末社 大国神社 (右)御陰祭(拡大) |
≪月刊京都史跡散策会45号≫【巷の小社の神々 京洛編】(その2) 完 つづく |