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●第63号メニュー(2012/2/19発行) |
【小堀遠州の庭園】(そのV) |
〔弧蓬庵庭園〕 |
〔遠州をめぐる人々〕 【村瀬左介】 【 賢 庭 】 【山本道勺】 |
〔終りに、遠州伝説の謎〕 |
弧蓬庵という号は、弧蓬すなわち「一艘の舟」を意味し、弧蓬庵書院を海上に浮かぶ舟と見立てて設計の意図としています。遠州は近江の生まれで、幼少より琵琶湖の景に慣れ親しんでいます。その風景を終の棲み処に取り込んだとしても不思議ではありません。背後に展開する庭も近江八景を縮景化した造形であります。 弧蓬庵の庭は表門の前から始まります。堀に架かる石橋は優雅な櫛形の高欄付であります。四隅の割石による橋挟石は、ふつうは庭園内の橋のデザインでありますが、門前の切石橋との組合せは、建築と庭園を一体と考えた遠州ならではの意匠であります。 表門から玄関に向けて、実に表情豊かな敷石が打たれています。先ず目につくのは、短冊形の切石と自然石の組合せであります。切石は視線を奥へと導く働きをし、左右に配されることにより、敷石全体に緊張感と変化を生んでいます。また敷石道(延段)の玄関への曲り角では誘導的な曲線を入れた切石を敷設しています。 板石や玉石など自然石を組合せたリズミカルな「行の延段」で、玄関前で直角に曲がるところには長切石の内側を円弧状に切りとって撥形とし、歩みを進める人に進行方向を示す工夫がなされています。 |
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弧蓬庵庭園は、方丈前庭、忘筌露地、忘筌席と直入軒に囲まれた枯山水庭園、そして飛石つたいにたどる山雲床の露地であります。 方丈南庭は長方形の平庭で、赤土を叩きこんだような庭が広がっています。ここから前方の刈込み?の向こうに、かつて船岡山が望むことができました。赤い土による庭は、古式を受け継ぐ様式であります。「弧蓬」の名にふさわしく、ここから望む船岡山は蓬莱島に見立てられていたと思われます。二重の刈込み?は波濤を現わしています。 南庭の東端には、こんもりとした檜の刈込があります。「牡丹刈り」とよばれる手法で、冬、この木々に雪の積もった姿がまるで牡丹が咲いたように見えるところから名づけられたといわれています。 方丈「礼の間」を寄付きとして北側奥が茶の湯の空間になります。軒露地の飛石が「露結」の手水鉢へと一直線に続きます。浜辺とも漣ともみられる蒔砂利は織部好みで、師への想いがかいまみえます。軒露地には切石が分ける白と黒の対比、「露結」の手水鉢へと向かう飛石のリズム。八角の下地窓。蒔砂利の下には丹精こめた霰敷き。などなど遠州の確かな仕事が見られます。 「礼の間」から望む庭園には、水辺から蛇行する飛石伝いの先に雪見燈籠が配されています。わずかの苑地に奥行きを表現しています。雪見の由来は近江八景の浮御堂であります。浮御が転じて雪見となりました。弧蓬庵の雪見燈籠は、最古のものといわれています。 方丈西側の書院式茶席が有名な忘筌の間であります。西からの強い入り日を避けて、縁に上半分だけに明かり障子を入れてあります。光は縁先に置いた「露結」の手水鉢の水面に反射し、砂摺という手法を凝らした天井にゆらめきます。まるで孤舟にいるような風雅の席であります。上半分の明かり障子によって切り取られた景は、舟窓からの風景であります。全体が孤舟の窓に見立てられています。自然の光、水さえも意匠として巧みに取り入られています。また、露地にある寄燈籠は、もともとは奈良の京終町にあったもので、遠州は竿の部分に朱塗りされた仏像が気に入り、作者は不明ですが、弧蓬庵に据えられました。その燈籠の背後に、小さな石が組まれています。それは富士山の形に似て、遠州ゆかりの通称近江富士の三上山とおもわれます。手前に火上げ石が配されています。 |
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西奥の書院が直入軒であります。忘筌の間からは植栽で見えなかった庭中央の空間が広がります。書院南庭は平坦な土表面を水面に見立て、低木と庭石を巧みに組み合わせながら入江と見えるところに石橋をかけています。遠州が故郷の近江を追慕して琵琶湖を表現しました。叩き締めた赤土の部分が琵琶湖で温かく、どうだん躑躅の根元の岬状の伏石、石塔などを各所に配して、地をはうような景石や石橋もやさしく、さらに温かさをましています。手前の赤松の向こうに石橋を渡して瀬田の唐橋に見立てるなど、近江八景の名所が配された独創的なデザインであります。遠州の出身地である故郷にゆかりのある琵琶湖畔の近江八景を連想させます。 さて直入軒の北に続く草庵風の茶室「山雲床」があります。「山雲床」は、大徳寺塔頭龍光院に遠州が設計した茶室・密庵を、松平不昧が模してつくったといわれています。 露地全体の景は、簡潔で明るく端正なたたずまいとなっています。「山雲床」の前に大きくゆったりと広く海を表現しています。その中央に臼形の石で、「布泉」と陽刻された噴泉式の有名な手水鉢があります。その前方に織部燈籠が据えられています。気分的にゆったりした味わい深い露地であります。 小堀家の隠居所であり、菩提寺でもある弧蓬庵は私生活の場所で、簡素でありながら一方には他者の追随を許さぬ構成を工夫し、それを見事に成功させています。 |
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《月刊京都史跡散策会》【小堀遠州の庭園】(そのV) 完 おわり 次号からは【日本の名庭を訪ねて】を連載します。 |
編集:山口須美男 メールはこちらから。
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