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【巷の小社の神々】洛外編 《その1》 |
〔荒見神社〕 〔水度神社〕 〔久世神社〕 〔雙栗神社〕 |
もと、奈良街道の宿場「長池宿」にあって、広大な社叢の森を背に鎮座する旧村社であります。社伝によれば、大化3年(647)に在地の土豪三富野部連金建(みとのべのむらじかなたて)が天神五柱を祀り、阿良美五社明神として祀ったのが起こりであります。はじめ長池の東方山中、五社ヶ谷にありましたが、寛正2年(1461)に水害で耕作不能となった荒見田を救うために、御旅所であった現在の地に移築されました。このとき境内末社の御霊神社も同時に移しています。荒見は荒水の転字で、水度神社(後出)と同じく河川の氾濫による水害防除を祈って祀られた神社であります。 祭神五柱は天火明命(あめのほあかりのみと)(饒速日命(にぎはやひのみこと))・天村雲尊・阿比良依姫(あひらよりひめ)命・天香語山(あめのかごやま)尊・木花開耶姫(このはなさくやひめ)命といわれていますが、一説には、木花開耶姫命・天児屋根命・蛭子(えびす)命・加茂大明神・応神天皇とするなど、時代による祭神の変化がみられます。 古くから、旧富野荘村の産土神として崇敬され、延喜の制には小社に列しています。近世は天満宮と称していましたが、明治21年に荒見神社と改称しました。 本殿(重文・桃山時代)は、慶長9年(1604)の再建であります。丹塗の美しい社殿で、三間社、流造り、屋根は桧皮葺とし、蟇股には唐獅子、木鼻には若葉の彫り物があって桃山時代の特長をよく表わしています。 |
荒見神社(左)御霊神社 (右)荒見神社本殿(拡大) |
御霊神社は境内末社で、本殿と同時代の建築であります。一間社、流造り、屋根は桧皮葺。柱間に虹梁をわたし、蟇股を入れ、柱上の斗?は舟肘木であります。祭神は不明ですが、おそらく御霊信仰によって祀られたものであるので、素戔鳴命(すさのおのみこと)と考えられます。 久御山町田井にも同名の荒見神社があって、そのいずれかが式内荒見神社であるかは、いまだ結論はついていませんが、当社をあてる説が有力であります。 |
〔水度(みと)神社〕 城陽市寺田水度坂 |
もと寺田の北方の大神宮山にありましたが、文永5年(1268)に、東方水戸芝山(俗にダイジ山)の現在地に移り鎮座する旧寺田村の産土神であります。遷座の理由はおそらく大谷川の氾濫によると考えられます。 当社の創祀年代については不詳でありますが、『山城国風土記』逸文に「久世郡水度社、祇社(くにつやしろ)」、『三代実録』には貞観元年(859)正月、従五位下の神位を賜わったことが記されています。また延喜の制には小社に列せられていることから、平安時代初期からの鎮座であることが考えられます。 社名の水度は三富(みと)といい、この地に繁栄した三富氏の一族が天照国照天火明(あまてるくにてるあめのほあかり)命を祀った氏神社で、あわせて栗隈の大溝の守護神として奉斎しました。三富氏は水主直(みぬしのあたい)・榎室連(えむろのむらじ)と同じく、当地方の古代豪族で、いずれも天火明命を祖神としています。彼らは木津川の水門、港津の管理にあたっていました。同神を祀った神社は多く、南山城一帯に分布しています。当社もその内の一つでありますが、現在の祭神天照大御神・高皇産霊(たかみむすび)神・少童豊玉(わだつみとよたま)姫の三神のうち、天照大御神は天照国照天火明命をあやまって称したものであります。また少童豊玉姫とは和多都弥(わだつみ)とも記し、古来水神として崇められた神であり、水害防除の守護神として併せ祭祀されました。 |
水度神社 (左)本殿(拡大) (右)鳥居 |
本殿(重文・室町時代)は、境内の北部にあって南面しています。一間社、流造り、屋根は桧皮葺。正面中央に千鳥破風を置くという珍しいつくりで、正面は吹寄せ組格子戸とし、他の三方は壁塗りとしています。また正面上部の長押(なげし)には、唐草文様の透し彫りに3個の笹竜胆(りんどう)を配した精緻な欄間がはめ込まれています。この建物は現存する棟札により、文安5年(1448)の再建が明らかであります。 |
《註》〔久世鷺坂〕 |
久世の鷺坂は、久世神社前の旧奈良街道上のゆるやかな坂であります。しかし一説では、久世神社の東、竜王谷の下手を経て大谷に通じる山道をそれと伝え、鷺坂山はその東方の山をさすとも伝えています。 『万葉集』巻九に「鷺坂にて作る歌」と題して、 |
白鳥の 鷺坂山の 松陰に 宿りて行かな 夜もふけ行くを (1687) 栲領巾(たくひれ)の 鷺坂山の 白つつじ 我れに染(にほ)わね 妹に示さむ (1694) 山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌(は)りつつ 秋は散りけり (1707) |
と詠われ、また、 |
白鳥の鷺坂山を越えくれば小篠ヶ嶺に雪降りにけり 六条修理大夫顕季(あきすえ) 神代より時雨降りにし山城の久世の鷺坂紅葉しにけり 藤原家隆 |
など、古来より和歌によまれたところであります。これに因んで坂を鷺坂、東の山を鷺坂山、峰を小篠ヶ峯といわれています。 万葉時代の大和路は栗隈山中を通っていたといわれるから、「久世の鷺坂」とは、栗隈山中のいずれかの坂を称したものであるので、豊臣秀吉がひらいた現在の旧奈良街道上の久世の坂を「久世の鷺坂」とするのは誤りであります。 |
《註》〔栗隈の大溝〕 |
『日本書紀』の仁徳天皇12年10月の条に勧農工事の一つとして、栗隈県に大溝を掘って、田圃(たんぼ)を潤したことがみえ、次いで推古天皇15年(607)にも栗隈に大溝を掘らしめ給うたとみえます。溝というのは灌漑用の水路でありますが、この工事が二度にわたって記載されています。この国史に特記されていることからみて、当時としては余程の大規模な工事であったと推察されます。だが、現在その遺構については明らかでありませんが、通説で は、大久保の西方を南から北に流れる古川と推定されています。 しかし、『山城名勝志』巻十八には、 |
今、長池町ノ北ニ長池ノ跡トテ廻リニ堤アリ、今ノ町モ古ヘノ池ノ跡ナリト云。是昔ノ栗隈ノ大溝ナルベシ云々 |
と記し、長池がその水源地であると推定しています。 また土地の古老の話によれば、栗隈の大溝とは東方の丘陵地帯の水まわりの悪いところを対象に掘った灌漑用の水路であって、南は長池から水を引き、寺田・久世・平川・大久保・伊勢田の各村を経て、えんえん六キロ、末は巨椋池(おぐらいけ)に注いでいたと伝えています。その途中の山麓にはいくつかの貯水池があって、寺田の玉池・正道池、久世の上正道池・下正道池、大久保の新淵などは、この大溝のための補助池としてつくられていたといわれています。これらの池は、いずれも掘ったものでなく、湧き水と山中から流れ出る谷水をせきとめて、溜め池とし、その水を大溝を通して、西方の低地帯に向かって幾条かの用水路をつくり、田畑に水を供給して開墾に供したと考えられます。 故に国史にも、「大溝を掘る」とあるも、「池を造る」とは記されなかった所以であります。 |
栗隈の大溝の遺構か |
〔伊勢田(いせだ)神社〕 宇治市伊勢田町若林 |
伊勢田はその名の示すごとく、伊勢皇大神宮に付属した御料田をいい、神社はこれを神格化したものであり、天照大神を祀っていました。 『山城国風土記』逸文には「伊勢田社」とみえ、「大歳御祖命の御子、八柱木(やはしらぎ)を祀る」とあり、『延喜式』にみえる「伊勢田神社」にあたるといわれています。現在の祭神は万幡豊秋秋津姫(まんはたとよあきつひめ)命・多力雄(たじからお)命・天照大神でありますが、何時のころにか祭神が変更されたと思われます。 本殿(江戸時代)は、南北にわたる細長い境内の北端にあって、浸水をおそれてか、石積みの壇上に建っています。一間社、流造り、桧皮葺。全体に桃山時代風の気分のただよう規模の大きな建物でありますが、妻虹梁の若葉絵文様がひろく、向拝柱の面が大きくないところから江戸時代初期の再建とみられます。 |
伊勢田神社(左)本殿(拡大) (右)鳥居 |
〔子守神社〕は、巨椋神社の境内参道の東にあります。祭神は天磐樟船(あめのいわくすぶね)神と蛭子(えびす)神を祀っています。社伝によれば、むかし三羽の大鷲(大鳥)が、子供にわざわいをするので、惟喬(これたか)親王が退治されたという伝承にもとづき、子供の守護神と崇められるに至りました。一説に巨椋氏が祖神と仰ぐ惟喬親王の霊を勧請したものといわれますが、明らかではありません。 |
《月刊京都史跡散策会》【巷の小社の神々】洛外編 (その1) 完 つづく |