〔貴船(きふね)神社〕
京都市左京区鞍馬貴船町 祭神 高?(たかみ)神
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貴船神社は鞍馬貴船町に鎮座する延喜式内の古社で、一に貴布禰・木船とも記されています。社殿は貴船川にそった狭小な台地にあって、本殿以下拝殿・権殿・末社などの建物が甍を接し、樹木のあいだをぬって赤い鳥居や玉垣がめぐらされています。
社殿によれば、神武天皇の母玉依姫(たまよりひめ)が黄色の船に乗って浪速(大阪)より淀川に入り、賀茂川を経て鞍馬・貴船川をさかのぼり、この地に上陸されたといわれ、そこに一宇の祠を営んで祀ったのが当社の起こりだと記しています。しかし、元来貴船とは木生根・木生嶺であって、はじめは山林守護の神として祀られたものであります。それが平安遷都後、ここが都の北方にして、皇居の用水とされた賀茂川の水源地にあたるため、その清浄を守るために川上神とあがめられ、水を司る神(高?(たかみ)神)を祭神と定めました。
それより降雨・止雨を祈る神として、大和室生の竜穴神とともに朝野の崇敬をあつめ、雨乞いには黒馬、雨止みには白馬が献じられました。弘化9年(818)には従五位下を授けられ、延喜の制には名神大社となり、のちには二十二社の一に列せられ、都下有数の大社となりましたが、何時の頃にか上賀茂神社の境外摂社とされ、その関係は明治初年まで続きました。明治4年、官幣中社となり上賀茂神社から独立しました。雨乞い祈願としての当社は公的な信仰の場合をいったものでありますが、民間の信仰では夫婦・男女の仲を守る神として、またその反対に縁切り祈願の神として幅広く信仰されました。その顕著な例は、夫にうとんぜられた和泉式部が当社に詣うで、貴船川に蛍のとびかうのをみて |
物思へば沢の蛍もわが身より憧れ出づる魂かとぞみる (後拾遺集)
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とうたったところ、貴船の明神が |
奥山にたぎりて落つる瀧津瀬の玉散るばかり物な思ひそ
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と返歌され、まもなく夫の心がもとに復したといわれています。また、能『鉄輪(かなわ)』には、宇治の橋姫は貴船の社に7日間参籠し、生きながら鬼神となり、ねたましいと思う相手の男女を取り殺したなどの、古来から多くの霊験を伝えています。 |
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(左)貴船神社 奥宮の船形石 (右)貴船神社 流造りの本殿
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