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●第43号メニュー(2009/7/19発行)
【神・神社とその祭神】《そのXXIII》日本の神々
【はじめに】 〔八百万の神々〕 〔目に見えない神々〕 〔姿をあらわした神々〕
【自然を神格化した神々】 〔大綿津見神〕 〔志那都比古神〕 〔久々能智神〕
〔大山津見神〕 〔鹿屋野比売〕 〔月読命〕

【はじめに】
 
 神様といえば、多くの人は神社を思い出します。「神社は神様のいるところ」という思いは、日本人の生活の中にごく自然に溶け込んでいます。私達が神社の森や鳥居を見れば、そこに神様の存在を意識します。
 では、その神社にどういう神様が祀られているのかということについては、案外知らない人が大勢います。それは別に不都合なことではないし、神様の名なんか知らなくとも、神様の存在を感じればそれでいいと思う人が沢山います。
 わが国には「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれるようにたくさんの神様がいて、それぞれに違った個性や能力をもっています。それが日本の神様の大きな特徴であり、そこには日本の歴史・文化、日本人の精神史といったものがいっぱい詰まっています。そして、何よりも現実的な問題としては、神様の個性や能力によって発揮される霊験(れいげん)やご利益(りやく)が変るということであります。
 当然、神社によって祀られている神様も違い、それがどんな神様であるか知っていたほうが、知識としての楽しみのほか、祈願には欠かせないものとなっています。
 個々の神様については、その起源や機能などを、この第43号で改めて記し、連載中の「神・神社とその祭神」のシリーズの締めくくりと考えています。
雪の白山連峰
 
〔八百万(やおよろず)の神々〕
 
 わが国には「八百万の神」という語が示すように、神が無数に存在しています。その中で中心的な位置を占めているのは、『古事記』『日本書紀』をはじめ、
『古語(こご)拾遺(しゅうい)』『風土記(ふどき)』『万葉集』などの古典に記載されている神々であります。(註 これらを一般に古典の神と言う)。
 まず『古事記』には321柱(はしら)の神々が登場しています。(柱とは神を数える時に用いる単位)。
 つぎに『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇は「神祇(あまつやしろくにつやしろ)を礼(ゐや)び祭(いは)ひて」とあります。ここに「神(あまつやしろ)」は天神(あまつかみ)、「祇(くにつやしろ)」は地祇(くにつかみ)のことであります。
 本居宣長は『古事記伝』二十三之巻で「天神(あまつかみ)とは、天に坐(まし)ます神、又天より降坐(くだりましましけ)る神を申し、地祇とは此国土(このくに)に生坐(なりましけ)る神を申すなり」と説明しています。
 また、『神祇令(じんぎりょう)』の第一条には「凡(およ)そ天神地祇(てんじんちぎ)は、神祇官(じんぎかん)、皆、常の典(のり)に依てこれを祭れ」と規定しており、義解等には、「天神トハ、伊勢・山城ノ鴨・住吉・出雲ノ国造(くにのみやつこ)ガ斎ク神等ノ類、是ナリ地祇トハ、大神(おおみわ)・大倭(おおやまと)・葛木(かつらぎ)ノ鴨・出雲ノ大汝(おおなむち)ノ神等ノ類是ナリ」と、天神地祇の具体的な神名を揚げています。
 『延喜式』第九・十巻の「神名帳」は、「神名帳」と称するものの、神名での記載は、宮中・京中の神のなかの21座だけであり、ほかはすべて社名で表記してあり、全国神社の登録台帳といった内容であります。冒頭にある「天神地祇(あまつやしろくにつやしろ)、惣(すべ)て三千一百三十二座」と記しています。「天神地祇」は「あまつやしろくにつやしろ」と訓(よ)むのが妥当のように考えられます。しかしながら、神名と社名の両方を意味しているのも事実であります。また、神・社を数えるのに「座」が使われています。これらのことは、早くから神と社が混合して用いられています。
(左)熊野市有馬の「花の窟(いわや)」 (右)那智の瀧
 
〔目に見えない神々〕
 
 『古事記』の冒頭には、天と地が始まったとき、高天原(たかまがはら)に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かむむすひのかみ)・宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)・天之常立神(あめのとこたちのかみ)と五柱の「別天神(ことあまつかみ)」が出現したとあり、これらの神々は「独身(ひとりがみ)」で、しかも「隠身(かくりみ)」であったと記しています。「別天神」とは天つ神のなかの特別な神であり、「独身」とは男女の性別のない単独の神で、そして「隠身」とは身体が隠れて見えないとの意味であります。
 興味あるのは、カミが「隠身」であったと記すことは、元来、カミとは姿や形を見せるものでなく、人間の目には見えない存在であるということであります。「隠身」の二字が、そのことをよく表現しています。また、このことは、カミは「隠身」であるとのことから、「カミ」の語源とも考えられます。
 神は目に見えない存在であるとの観念は、古代だけのものでなく、現在へと続けられています。例えば神社では本殿の奥深い内陣に御神体を安置しています。御神体はさまざまでありますが、主なものは鏡・鉾・剣・玉などであります。このような御神体に神が憑依(ひょうい)しています。神は神霊なので見えない存在で、また御神体は見ることが許されていません。
 『古事記』で最初に出現した三柱の神は、序文に「参神造化(さんじんぞうか)の首(はじめ)」と記すように、天地万物を生み出す「むすひの神」であります。これらを一般には「造化の三神」と称しています。
次いで、地上に神世七代の神々が出現したとあります。そのうちの最初の国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくもののかみ)の二代は、さきの五柱の別天神と同じく独神で隠身であります。続いて五代の神々が出現しています。これらは男女配偶を一代と数えており、したがって十柱の神々となり、その最後に伊耶那岐(いざなぎ)神と伊耶那美(いざなみ)神があります。
 伊耶那岐神と伊耶那美神は天神から国づくりの命を受けて日本列島を生み、その国土のうえに次々と神々を生んでいきました。それらのなかには観念的な神もありますが、われわれの生活と関係の深い住居の神々、ついで海や水門(みなと)(港)の神々が生まれています。また「風の神、名は志那都比古神(しなつひこのかみ)」と記すように、自然神も多く生まれています。
古座の荒船海岸
 

海の神──大綿津見神(おおわたつみのかみ)
港の神──速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)
風の神──志那都比古神(しなつひこのかみ)
木の神──久々能智神(くくのちのかみ)
山の神──大山都見神(おおやまつみのかみ)
野の神──鹿屋野比売(かやのひめ)(別名、野椎神(のづちのかみ))

 ここに「海の神」といえは普通名詞でありますが、それに「大綿津見神」の固有名詞を与えると、この神の性質・地位・資格、言換えると神格・神性がより明白となります。「大綿津見神」の「大」は「大きい」、「綿」は「海」、「津」は助詞の「の」、「見」は「神霊」の意で、全体で「大きい海の神霊」という意味になります。
 このように「ワタツミ」「ヤマツミ」の「ミ」は神霊をあらわし、「ククノチ」「ノヅチ」の「チ」は精霊を意味しています。「チ」は「ミ」より低い神格とされ、「オロチ(蛇)」「ミヅチ(蛟)」「カグツチ(火神)」「イカヅチ(雷)」などのチも同意で、身震いするような恐ろしい存在なのです。
 日本の神々─それが神霊(ミ)であれ、精霊(チ)であれ、それは恐ろしい存在と意識されてきました。このような神の観念は古代〜現代に至るまで受け継がれています。今も神前で「恐(かしこ)み恐み」と唱えているように、神は恐怖や畏敬の念を感じ
るものなのです。
 神前にあげる祝詞(のりと)が「掛(か)けまくも恐(かしこ)き」と始まっています。「掛けまくも」とは、神の御名を直(じか)に口で言うこと、心にかけて思うこと、それすら恐れ多いとの意味であります。それほど、神は恐れ多い存在だということです。これに関して、神にかかる枕詞(まくらことば)の「ちはやぶる」にも同じ心意が働いているように思われます。
 日本人は宇宙に存在するすべてのものに神霊(ミ)ないし精霊(チ)が宿ると信じ、それらを恐怖や畏怖の念をもって崇拝してきました。海・山・川・野・道・坂・岩・風・波・雷などにも、神霊(ミ)ないし精霊(チ)の存在を認め、それらを宗教的に高めて崇拝の対象としてきました。そこに海の神・山の神・川の神などが成立し、はじめに記したように「八百万の神」という無数の神々の存在を知るに至りました。この「八百万の神」という語は、日本人の神の観念を理解する上での重要なキーワードの一つなのです。
(左)御岳昇仙峡の覚円峰 (右)神倉神社のゴトビキ岩 
 
 つぎに注目したいのは、水門(みなと)の神である速秋津日子神と妹速秋津比売神という配偶神が登場して、さまざまな波の神を生んでいくことです。このような配偶神は神世七代の五代目から見られますが、御子を生むのは伊耶那岐神と伊耶那美神の二神に始まります。このように神々は男神・女神という性別をもち、それらが御子を生むというのが、日本の神々の特徴の一つであり、仏・菩薩などには見られないところであります。
 さらに興味深いのは「野の神、名は鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)を生みたまひき。亦(また)の名は野椎(のづち)の神といふ」と記すように、日本の神々は異名をもつものが少なくないことです。代表的なのは大国主神で、大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)・葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)・宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名をもっています。ちなみに、『日本書紀』本文には、大己貴神(おなむちのかみ)とあります。第八段第六の一書(あるふみ)によれば、大国主神は大物主神(おおものぬしのかみ)・国作大己貴命(くにつくりおおあなむちのみこと)・葦原醜男(あしはらのしこお)・八千戈神(やちほこのかみ)・大国玉神・顕国玉神(うつしくにたまのかみ)ともいう別名があり、ここに七つの名をもつと記しています。
 そこで『古事記』と『日本書紀』の神名の表記を較べて見ると、前者は表音文字の仮名表記であり、後者は表意文字の漢字表記であります。そのため神名の意味を知るのには後者の方がわかりよいとのことです。
〔姿をあらわした神々〕
 
 ところで、同じ神が五つも七つもの別名をもつのは、その神の能力や神格、あるいは神性が豊かであることを示すものと思われます。それというのも、各神名の背景には、それぞれの神話や歌謡が付随していることであります。それぞれ神を尊(とうと)んでミコトと呼ぶ場合があります。ミコトには尊と命があります。『日本書紀』神代上の初めの国常立尊の下に「至(いた)りて貴(たふと)きをば尊(そん)と曰(い)ふ。自余(これよりあまり)をば命(めい)と曰(い)ふ。並(ならび)に美挙等(みこと)と訓(い)ふ」との註があります。これは「尊」を最も貴い神に、「命」をその他の神に使うと、書き分けています。
三笠山の麓にある飛火野
 
 また神々の中には神霊(ミ)・精霊(チ)のほかに、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かむむすひのかみ)の「ムスヒ」の「ヒ(霊)」、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の「タマ(魂・玉)」、大物主神の「モノ(物)」などがあり、これらはすべて人間の目には見えない存在であります。
 これらの神々が、形あるものとして姿をあらわして来るようになります。神像の出現であります。それは仏教の影響でありました。
 ちなみに、天皇のことを現人神(あらひとがみ)・現御神(あきつみかみ)などと尊称します。これは天皇を人の姿としてこの世に現われた神とする考えであり、古くから見られています。
 『日本書紀』欽明天皇13年10月の条に、仏教受容に物部大連尾輿(もののべのおおむらじおこし)と中臣連鎌子(なかとみのむらじかまこ)は「今改めて蕃神を拝みたまはば、恐るらくは国神の怒りを致したまはむ」と奏したとあります。蕃神とは異国から渡来した仏のこと、そして国神は日本在来の神であります。
 さらに「蕃神」を「あしくにのかみ」「となりのくにのかみ」とよんでいるので、外国人の信じている神と解され、韓神(からかみ)・園神(そのかみ)・曾富理神(そほりのかみ)・阿加流比売神(あかるひめのかみ)(比売語曾神(ひめこそのかみ))・漢神(からのかみ)・客神(まろうどかみ)・今来神(いまきのかみ)などがその範疇に含まれます。
 また敏達天皇14年12月の条には「仏神」とあり、『元興寺縁起』には「他国神」と記すように、仏を神の一種であると認めています。仏と神とは本質的には異なる存在でないと理解したようであります。
 仏教の受容をめぐって賛否両論がありましたが、結局、仏教は日本全土へと広まり、各地に氏寺が造立され、多くの人々が仏教に帰依しました。
 すでに奈良時代から日本の神々は仏・菩薩との融合をはじめ、目に見えなかった神々が姿を現すようになりました。平安時代になると、本地垂迹説が盛んとなり、日本の神はインドの仏・菩薩が日本に現われた権(かり)(仮)の姿であるとの権現(ごんげん)思想が流行し、神に権現の名を付して呼ぶようになりました。白山権現・熊野権現・山王権現・東照大権現などが代表的なものであり、日本の神々にはそれぞれに本地仏(ほんちぶつ)が定められました。それらの本地仏が神社の本殿に安置されたり、なかには境内に本地堂を建てて安置する神社もありました。
(左)島根半島の日御碕 (右)西土佐村半家を流れる四万十川
 
 また神に菩薩号を付すことも盛んに行なわれました。代表的なのは八幡大菩薩であり、ほかに多度大菩薩(多度神)・高貴徳王菩薩(住吉神)・聖母大菩薩(神功皇后)・慈悲満行菩薩(天児屋根命)などがあります。
 しかし、明治初年の神仏分離令は、このような権現や菩薩など、仏教語を使用した神号や本地仏を御神体にすることを禁止したので、神々は姿や形を消して、本来の観念的なものになってきました。
 
【自然を神格化した神々】
 
〔海の神 大綿津見神(おおわたつみのかみ)〕
 
 伊耶那岐神、伊耶那美神は日本の国土を生んだあと、神生みして諸々(もろもろ)の神を生んでいます。その時、海の神である大綿津見神も生まれました。大綿津見神の「オオ」は「立派な」、「ワタ」は「海」、「ツ」は「の」、「ミ」は「精霊」を表わす言葉であります。綿津見神・綿津見大神、単に海神とも表記され、いずれも「ワタツミノカミ」と称します。
 大綿津見神は、海幸彦(うみさちひこ)・山幸彦(やまさちひこ)の神話にも登場します。兄の海幸彦から借りた釣針を失くした山幸彦は、塩椎神(しおつちのかみ)のおしえにより、大綿津見神の住む海底の宮殿を訪問します。山幸彦はそこで、大綿津見神の娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と結ばれます。山幸彦は、地上へ帰るときに大綿津見神から失くした釣針と共に塩盈珠(しおみつたま)と塩乾珠(しおひるたま)を授けられ、それにより海幸彦を退けて日向(ひゅうが)を治めました。また、豊玉毘売は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を産み、鵜葺草葺不合命は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)と結婚して、その間に産まれたのが神武天皇であります。
 大綿津見神を祀る神社は平安時代の『延喜式』神名帳に、「海神社(わだつみのかみのやしろ)」として数社があります。ご神徳は海上安全・漁業繁栄なと、海の守護神であります。

(左)太郎坊宮(阿賀神社) (右)楯ヶ崎(熊野市)
 

〔風の神 志那都比古神(しなつひこのかみ)〕
 
 風を支配する神。「シ」は息や風、「ナ」は「何々の」であり、「ツ」は場所を表わす「所」と同意であります。つまり神名の意味は「風の吹き出す所の男」となります。『日本書紀』には、「級長津彦命」と記してあります。そこには「級長戸辺命(しなとべのみこと)」という女神の名も見えています。
 古くから風の神を祀ることで著名なのは奈良県の龍田大社であります。当社では天御柱命と国御柱命として祀っており、由緒によると崇神天皇の御代に、悪風荒水のため凶作となった折、天皇の夢に天御柱命・国御柱命が現われて、二柱の神を龍田の立野に祀るように告げたとあります。以来、朝廷の格別の崇敬を受け、4月と7月に神祇官(じんぎかん)が風神祭を執行するように定められました。
 風の神では、伊勢神宮の内宮に別宮として風日祈宮(かぜひのみのみや)があり、外宮の別宮にも風宮があります。両宮とも級長津彦命と級長戸辺命とを祀るとされています。両宮では毎年5月と8月に風雨の災いが無く五穀豊穣となるようにと、風日祈祭が執り行われています。
〔木の神 久々能智神(くくのちのかみ)〕
 
 木の神であります。「クク」は茎のことであり、木の意味であります。「ノ」は「何々の」という意味、「チ」は精霊を表わす言葉であります。『日本書紀』では「木の祖(おや)、句句廼馳(くくのち)」と記されています。
 平安朝以降、朝廷では、天皇一代ごとの大嘗祭(だいじょうさい)や毎年の新嘗祭(にいなめさい)、神今食(じんこんじき)などの重要な祭儀の前後、遷都・宮殿の新造などに際して「大殿祭(おおとのほがい)」が執り行われてきました。その祭儀は宮殿の平安無事を祈るものであり、その祝詞(のりと)のなかには「屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)」という名で記されています。現在、民間では、上棟祭をはじめ建築関係の祭りで、豊宇気姫神(とようけひめのかみ)とともに「屋船神」(住居を守る神)とされています。
(左)若宮神社の大楠(春日大社) (右)熊野古道(大雲取越) 
 
〔山の神 大山津見神(おおやまつみのかみ)〕
 
 山を支配する神であります。「オオ」は「偉大な」、「ヤマ」は「山」、「ツ」は「の」と解され、「ミ」は神霊を表わしています。『日本書紀』では「大山祇神」「山祇」とも記されています。
 大山津見神は多くの神々の父として注目されています。足名椎命(あしなづちみこと)・手名椎命(てなづちのみこと)も大山津見神の子とされ、その娘、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)は素盞鳴尊(すさのおのみこと)と結婚し大国主命を産みました。また、岩長比売(いわながひめ)・木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)・木花知流比売(このはなのちるひめ)の三姉妹も大山津見神の子であります。木花之佐久夜毘売は邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚し、火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)・火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)の三柱の神を産んでいます。この神のうち、火遠理命は穂穂手見命(ほほでみのみこと)となり、のちに日向を治めることになります。
 大山津見神は、愛媛県越智郡大三島に鎮座の大山祇(おおやまずみ)神社や、静岡県三島市に鎮座の三嶋大社をはじめ各地の三島神社に祀られ、また、各地の山(山積・山津見・山祇)神社の祭神となっています。ご神徳は国土安泰・五穀豊穣・商売繁盛などが挙げられます。
〔野の神 鹿屋野比売(かやのひめ)〕
 
 野の神であります。「カヤ」は萱(かや)・茅(ちがや)などの、屋根を葺くなどの用途のある植物のことで、一
般的にいう草とは区別されています。「ノ」はやや傾斜したところで現在の坂にあたります。そこが広いところが野原であります。山の神である大山津見神と分担して山野を支配することから、この神の方は傾斜した山裾を指すと理解されています。『古事記』には別名として「野椎神(のづちのかみ)」があげられ、『日本書紀』では「草野姫」「野槌」「厳野槌(いつののづち)」と記されています。
〔月の神 月読命(つくよみのみこと)〕
 
 伊耶那岐神が黄泉国(よみのくに)から戻り、禊(みそ)ぎをした際に、右目を洗った時に生まれたのが月の神
であります。伊耶那岐神より、夜の世界の支配を命じられました。神名は「月を読む」こと、すなわち月の満ち欠けを支配する神という意味であります。日本では古代より明治時代に至るまで月齢による大陰暦が使用されてきたので、この神は暦と関係があります。また、暦は農耕に深く関わっているので、月読命は農耕神としても崇められてきました。
 古代においては月が欠けてゆくのは死を意味し、満ちていくのは再生ととらえていました。『万葉集』巻13に、月読が「変若水(おちみず)(若返りの水)」を持っているという歌があり、月神を不老不死の信仰の対象としていたことがわかります。
風神雷神図 建仁寺蔵
 
 月神が水を支配するとの伝承は、若返りの水のみならず、雨乞いの対象ともなっていました。京都市に鎮座する松尾大社の摂社の葛野坐(かどのにます)月読神社は『三代実録』によれば、貞観元年(859)9月、勅使が祈雨のために奉幣(ほうへい)をしたとあります。さらに、三日月の形を舟に見立てて、月の神は舟に乗って現われると考えられたことから、漁業に関わる人々の信仰を集めました。このことは月が潮の満ち干を左右していることからもうかがえられます。
 月読命を祀る神社は、先述した松尾神社のほか、伊勢神宮の内宮の別宮、月読宮があげられます。ご神徳は五穀豊穣や大漁祈願が知られています。

≪月刊京都史跡散策会43号≫【神・神社とその祭神】《XXIII》日本の神々 完 つづく


編集:山口須美男 メールはこちらから。

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