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●第36号メニュー(2008/12/21発行) |
【神・神社とその祭神】《そのXVI》 伊勢神宮 |
〔伊勢神宮〕 〔両宮の成立と式年遷宮〕 〔内宮遷座の経緯〕 |
〔外宮遷座の経緯〕 〔日別朝夕大御饌祭〕 〔神宮の祭り〕 |
〔御師とは〕 |
内宮に所属の10社とは、荒祭宮(あらまつりのみや)、風日祈宮(かざひのみや)、月読宮(つきよみのみや)、月読荒御霊宮(あらみたまのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈美宮(いざなみのみや)、倭姫宮(やまとひめのみや)、滝原宮(たきはらのみや)、滝原並宮(ならびのみや)、伊雑宮(いざわのみや)であり、滝原宮と滝原並宮は度会郡(わたらいぐん)大宮町に伊雑宮は志摩市磯部町に鎮座しています。 外宮の別宮は、多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)、月夜見宮(つきよみのみや)の4社であります。そのほかに摂社として、内宮に27社、外宮に16社、多くは延喜式に所載されています。末社は内宮に16社、外宮に8社、所管社は内宮に30社、外宮に4社で、その他に、別宮所管社の8社があります。そこには、日神、月神、風神、土神など、天地万物諸神が祀られ、皇室の氏神、全日本人の総氏神として崇敬されています。 例祭は神嘗祭(かんなめさい)と呼ばれ、外宮は10月15・16日、内宮は10月16・17日に行われます。内宮祭神の天照坐皇大御神は日の神と称えられ、食物神たる外宮祭神の豊受大御神ともども、人々に元気と活力を与える神徳があります。 まず内宮の主祭神は天照大御神(相殿神として天手力男神と万幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)命)であります。記紀などによると、「日神」とも「大日?貴(おおひるめむち)」とも称され、「光華明彩(ひかりうるわしく)、六合(くに)の内に照り徹(とお)る」ほど神徳の高い大神とつたえられています。 日が天にあって此の国土を照らすという自然界の現象と、皇室がこの国を統治せられる政治形態の上から、この二つを結びつけて皇室を日(太陽)に擬したのであって、そこから日そのものとしての日の神が皇祖神となりました。 つまり、天照大御神の本質は「皇祖神」であり、やがて日本列島を統一した皇室(大和朝廷)のルーツとして仰がれるにつれ、唯一不滅の太陽にたとえられるようになった(ヒルメは日(ひ)の女(め)の意)と考えられます。しかも、皇室のもとに統合された日本民族は、弥生時代以来、太陽の恵みを頼りに稲作を営んできたので、太陽になぞられる皇祖神への信仰は容易に受け入れられたものと思われます。 |
(左)内宮正宮平面図(拡大) (右)内宮正殿と古殿地 |
この天照大御神は、もともと皇室の内部で祖先神として祀られていましたが、朝廷の勢力が大和を中心にだんだんと拡大される過程で、大和から伊勢に遷されました。そのいきさつは記紀や『皇大神宮儀式帳』などによると、第10代の崇神天皇朝(3世紀後半)にいったん大和の笠縫邑(かさぬいむら)(桜井市の大神神社付近)に遷し祀られていましたが、次の垂仁天皇朝(3世紀末)に皇女の倭姫命が「五大夫」(有力な武将ら)に護られながら「大神を頂き奉りて、願(ね)ぎ給ふ国 を求め」、大和より伊賀・近江・美濃をへて伊勢に至ったところ「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)よする国。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国にをらむとおもう」との神慮にかなったので、五十鈴(いすず)川の上流(宇治)に神宮を建てて祀ることになりました。これは結果的にみれば、天照大御神の鎮座地にふさわしい常世(理想郷)を大和の東方(太陽の出る方向)の伊勢に求めたことになります。 3世紀末、畿外への勢力拡大をはかっていた大和朝廷が、東国へ出る前進基地として伊勢に信仰の拠点を据えたものとも考えられます。 一方、外宮の主祭神は豊受大御神(相殿神として御伴神三座)を祀っています。記紀などによれば、この神は伊佐奈美(イザナミ)の尊から化生された「和久産巣日(わくむすび)(稚産霊)神」の御子で、養蚕や稲作など産業の守護神とされ、『止由気(とゆけ)宮儀式帳』には「御饌津神(みけつかみ)」(食物神)と見えています。また、『古事記』には豊宇気毘売(とようけひめ)神と記されています。 この豊受大御神は、もと丹波(丹後)の比治に祀られていましたが、のち雄略天皇22年戌午(478)伊勢の度会(わたらい)の山田原に遷し祀られました。5世紀後半当時は大和朝廷の最盛期であり、このような時期に、豊受大御神を丹波から伊勢へ遷されたのは、皇室(大和朝廷)の勢力拡大にともない、皇祖天照大御神の権威も一段と高まって日本民族の総氏神的な性格をもたせるため、その一要素である産業・食物の守護神的役割を専門の豊受大御神に委ねて、その充実をはかろうとしたと思われます。 |
(左)内宮正殿透視図 (右)家屋文鏡 佐味田古墳出土 |
ふつう伊勢参宮といえば、宇治の内宮正宮と山田の外宮正宮にお参りをするのであります。他に別宮と摂社・末社や所管社があり、合計125所(神座数では137座)にのぼります。 内宮の別宮は、@荒祭宮(あらまつりのみや)、A滝原宮(たきはらのみや)、B滝原並宮(ならびのみや)、C伊雑宮(いざわのみや)、D月読宮(つきよみのみや)、E月読荒御霊宮(あらみたまのみや)、F伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、G伊佐奈美宮(いざなみのみや)、H風日祈宮(かざひのみや)、I倭姫宮(やまとひめのみや)の10所であります。 |
@は、正宮が天照大御神の和御魂(にぎみたま)を祀るのに対して、その荒御魂(あらみたま)(勇猛な神霊)を祀り、正宮に近い真北の丘に鎮座しています。ABとCは、正宮と同じ天照大御神の御魂を祀っていますが、ともに正宮よりはるか遠い所(ABは宮川上流の度会郡大宮町野後、Cは海に近い志摩郡磯部町上之郷)に鎮座しています。『延喜式』に「大神の遥宮(とおのみや)」と記されています。 また、DEは、天照大御神の弟とされる月読神の和魂と荒魂を祀り、FGは、天照大御神・月読神の両親にあたるイザナギ・イザナミの尊を祀っています。いずれも内宮より少し離れた北側に4所並んで鎮座しています。 さらにHはイザナギの尊から化生した風神(級長津彦・級長戸部(しなとべ)命)を祀り、蒙古襲来のさい神風を吹かせた霊験により別宮に列せられたもので、神楽殿の近くにあります。なおIは、神宮の創祀に尽力した倭姫命を大正12年に倉山田の一角に祀ったのであります。 一方、外宮の別宮は、J多賀宮(高宮)、K土宮、L風宮、M月夜見宮の4所があります。このうちJは、正宮が豊受大御神の和御魂を祀るのに対して、その荒御魂を祀り、正宮に近い南方の丘に鎮座しています。Kの土宮は「宮地神(みやぢかみ)」とか「土御祖神(つちみおやのかみ)」とも称される外宮一帯の地主神を祀ります。平安末期に付近の宮川が再三氾濫したので、それを鎮めるため末社から別宮へと昇格されたものであります。Lの風宮は、内宮のH風日祈宮(かざひのみや)と同じく風神を祀り、蒙古襲来のあとその功績により別宮に列せられました。KもLもJの近くに鎮座しています。Mの月夜見宮は、内宮の月読宮と同じ神を祀っていますが、鎌倉初期に摂社から別宮へ昇格され、外宮の北方(宮後町、旧宮川沿い)に鎮座しています。 次に摂社と末社でありますが、『延喜式』の神名帳に所載の(本宮・別宮を除く)式内社をいいます。 |
(左)五十鈴川御手洗場 (中)瀧祭神 |
末社は延暦(804年提出)の両宮儀式帳に所載(本宮・別宮・摂社を除く)のいわゆる帳内社をいいます。また、所管社は正宮か別宮に所管されている小社でありますが、摂社・末社と同じく平安以前から当地に祀られていたとみられる古社であり、神宮の成立には不可欠な存在であります。 内宮側の摂社・末社等は、(イ)五十鈴川流域、(ロ)宮川流域、(ハ)田丸平野の3地域に分かれ、外宮側の摂社・末社等は、(ニ)山田原と高倉山周辺、(ホ)勢田川流域、(へ)宮川流域の3地域に分かれています。これらの地域は、内宮に奉仕した荒木田氏や外宮に奉仕した渡会(わたらい)氏や磯部氏たちの生活基盤であったとみられ、そこに従来から祀られていた地主神的な古社や両宮に貢納する御贄(みにえ)・土器・織物などに関係する諸社が、やがて神宮の摂末社なり所管社として位置づけられたと考えられます。そのなかには、先に述べたH風日祈宮、K土宮、L風宮などの、著しい霊験によって摂末社から別宮に昇格したものもあります。また、内宮側所管社の滝祭神(たきまつりがみ)のごとくは、五十鈴川の御手洗場の脇に社殿を造らず、石畳の上に石を水波能売神(みずはめのかみ)のご神体として祀りながらも、別宮に準ずる鄭重な供饌・奉幣が行われます。 このように、神宮の中心をなす内宮の天照大御神も外宮の豊受大御神も、大和や丹波から遷し祀られたもので、伊勢にとっては外来新参の神でありますが、その鎮座後も在地の神々を排除することなく、むしろ積極的に包摂して共存を図っています。 |
このような神宮のあり方は、平安時代末期以降、神宮の神領をはじめ全国各地で奉斎されるに至った神明社の場合もほぼ同様であったと思われます。それ故に、元来は皇室により遷し祀られた神宮は、やがて全日本人の総氏神として広く信仰されるようになりました。 |
(左)倭姫宮 (右)風日祈宮橋 |
この20年目ごとの式年(定まった年)に遷宮する制度は、内宮で持統4年(690)に、外宮では同6年を第1回として実施され、奈良・平安から鎌倉時代までの六百数十年間ほぼ励行されています。しかし、南北朝から室町時代中期に遅延しがちとなり、戦国時代には内外宮とも中断されています。 それを安土・桃山時代に再興する際、大いに力をつくしたのは、名も無き尼寺(のち慶光院の号を勅賜される)に住み、諸国を勧進して歩いた清順尼(せいじゅんに)と周養尼(しゅうように)でありました。その遷宮費用は、織田信長も豊臣秀吉も応分に寄進しています。また、徳川幕府も全額負担するようになったので、遷宮は順調に行われています。 明治以降は、律令時代の例に倣って造神宮使庁を設け国費で賄われていましたが、戦後の新憲法下では神宮自体が宗教法人となり、民間の式年遷宮奉賛会により、献金によって行われています。 このように神宮の式年遷宮制度は、途中幾多の困難を乗り越えて1300年間も続いてきました。これを可能にしたのは、何といっても歴代天皇の皇祖神に対する深い崇敬の念であり、また神宮を総氏神と仰ぐ国民による篤い奉賛の心情によるものであります。 ところで、式年遷宮には、正宮と別宮の神殿を従来の古殿の隣に新築するだけでなく、殿舎の装飾(帳・幌)や神々の装束(服飾・持物)および神宝(織機・武具・楽器)などもすべて新調されます。その真新しい内宮正殿では10月2日、外宮正殿では10月5日に、それぞれ真夜中に遷御の秘儀が行われ、続いて神田から収穫した新米の御飯・御酒や新鮮な海産物などが、大御饌(おおみけ)≠ニして供進されます。第一別宮は一週間後に行われます。 このような神殿も装束も神宝なども一新したうえで大御饌を供進することによって、神宮の大神たちは大いなる神威を蘇らせ、それを仰ぐ人々も新しい生命力を蘇らせることができます。この素朴で強固な信仰こそが、式年遷宮を支えてきた真の力であります。 |
(左)御塩殿 御塩焼所 (右)外宮御饌殿 |
【神・神社とその祭神】《XVI》伊勢神宮 完 つづく |
≪月刊 京都史跡散策会≫ 平成20年
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【神・神社とその祭神】《そのXVI》伊勢神宮 〔伊勢神宮〕 〔両宮の成立と式年遷宮〕 〔内宮遷座の経緯〕 〔外宮遷座の経緯〕 〔日別朝夕大御饌祭〕 〔神宮の祭り〕 〔御師とは〕 |
編集:山口須美男 メールはこちらから。
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