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●第12号メニュー(2006/12/17発行) |
【厩戸皇子・聖徳太子の足跡】《その1》 |
〔日本書紀抜粋 崇峻天皇・推古天皇記〕〔日本書紀〕〔舎人親王〕〔蘇我馬子宿禰〕〔物部弓削守屋〕〔用明天皇〕〔穴穂部間人皇女〕〔田目皇子〕〔推古天皇〕〔橘寺〕〔大聖勝軍寺〕〔四天王寺〕 |
〔舎人親王〕(天武4年676〜735天平7年) |
奈良時代、天武天皇の皇子。「日本書紀」の編纂を主宰し、養老4年 (720)年に完成しました。その年の藤原不比等の死後,「知太政官事」として国政に関与します。死去に当り「太政大臣」となり、またその子大炊王(のちの淳仁天皇)が即位すると、「崇道尽敬皇帝」の称号を贈られました。 |
厩戸皇子(聖徳太子)の足跡を『日本書紀』の記事でたどります。 『日本書紀』巻第21の崇峻天皇の記に、 |
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日本書紀 巻第十一 巻頭 前田育徳会蔵 |
四天王立像(右から持国天・増長天・広目天・多聞天) 法隆寺蔵 |
聖徳太子絵伝 (左)第三幅・太子の前世、入胎、誕生を描く。 (右)第四幅・太子幼少期。書を学ばれる様子などを描く。 |
太子の里、飛鳥俯瞰 |
(左)大聖勝軍寺境内 (右)物部守屋の墓 |
奈良時代に聖武天皇により「大聖勝軍鎮護国家寺」の名を与えられ、以後は手厚く保護されました。南北朝の動乱によって焼失しますが、のち再建されて現在に至っています。 叡福寺の上の太子、野中寺の中の太子にたいして、下の太子と呼ばれています。境内には神妙椋が茂り、本堂には美しい半跏思惟像を祀っています。 |
四天王寺俯瞰 |
【厩戸皇子・聖徳太子の足跡】《その1》おわり 次号につづく |
≪月刊 京都史跡散策会≫ 平成18年
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史上初 湖東三山の秘仏ご開帳 天台宗について | |
厩戸皇子・聖徳太子の足跡《その1》 〔日本書紀抜粋 崇峻天皇・推古天皇記〕〔日本書紀〕〔舎人親王〕〔蘇我馬子宿禰〕〔物部弓削守屋〕〔用明天皇〕〔穴穂部間人皇女〕〔田目皇子〕〔推古天皇〕〔橘寺〕〔大聖勝軍寺〕〔四天王寺〕 |
編集:山口須美男 メールはこちらから。
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