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●第49号メニュー(2010/1/17発行) |
【巷の小社の神々】京洛編《その6》 |
〔福王子神社〕 〔木島神社〕 〔敷地神社〕 〔平野神社〕 |
〔養蚕神社〕は本殿の右側にあり、蚕の神を祀っています。太秦は養蚕機織をつかさどった秦氏の繁栄地であったので、これに因んで祀られたもので、養蚕機業家や製糸業家の厚い信仰があります。 また、末社には三井家の祖といわれる三井越後守高安命を祀る顕名(あきな)神社と、承久の乱で後鳥羽上皇方について当社境内で戦死をしたという院の武士、三浦胤義を祀った魂鎮(たましずめ)神社があり、またこの付近にあった椿丘神社などを合祀しています。 |
古来より当社は方除けの神、疫病除けの神として朝野の崇敬をうけ、「山塊記」によれば、治承2年(1178)11月12日、建礼門院徳子が皇子(のちの安徳天皇)を出産するに際し、平家一門が諸社寺とともに「大将軍堂」に安産祈願をしています。それ以前にすでに神社があったことがわかります。中世には祇園八坂神社の支配下にありました。応仁の乱で消失しています。天文4年(1535)に再建され、江戸時代に大将軍八幡宮と改名しています。 境内には、本殿・拝殿・神饌所・社務所があり、また宝物館には大将軍をあらわした衣冠束帯の神像22体、武装神像43体があり、いずれも鎌倉末期より室町時代の造顕になるもので、その丹塗りの行粧は疫神たることをあらわしています。 |
≪月刊京都史跡散策会49号≫【巷の小社の神々 京洛編】(その6) 完 つづく |